開業準備の裏で起きていた、忘れられない出来事
- 有希子 戸部
- 2025年11月15日
- 読了時間: 5分
開業に向けて準備が山場を迎えていた頃。
外来のパートのお仕事をしながら、さまざまな書類の作成や内装の調整、研修など…
毎日が慌ただしく、一日の終わりはいつも遅く、
「あと一息」という思いだけで動いていた時期がありました。
そんな中、実はとんでもないことが起きていたんです。
◆ 夜22時前、“いつもと違う”娘の声
その日は丸一日外来で、心身ともにすり減って、抜け殻になった状態で家に帰った直後でした。
そこへ娘から一本の電話。
「ママ…帰れない。歩けない…」
普段は友達とにぎやかに塾から帰ってくる子です。
その子が、か細い声で泣きそうになっている。
迎えに行くと、車まで歩いてくることもできず、なんとか車に乗り込んだ娘はシクシクと涙をこぼしていました。
家に帰って確認してみると、足の小指が変な形に曲がっています。
脱臼の修復はしたことがないため、受診をと思ってもその時すでに22時近く。 整形外科はどこも空いているわけもなく、ひまわりに電話をかけても、現実的に受診可能な整形外科はありませんでした。
とにかく冷やすため。足用の氷嚢を買いに行き、湿布を小さく切って貼って、痛み止めを飲ませてあげることしかできず、明朝の受診の予約を取って眠ることにしました。
医者なのに何もしてあげられないことにとてももどかしく、眠れない夜でした。。
◆ 明け方、別の異変が
娘と一緒に、眠っていたその次の日の明け方。
物音と、何とも言えない“気配”で目が覚めました。
部屋の外の廊下に出ると、愛猫が激しい痙攣を起こしていました。
普段はよく喋り、甘えん坊で、マイペースな子です。
その子が倒れて呼吸も乱れ、必死に身体を動かしていました。
一眼見て、これはまずい状態だと思いましたが、
その日の朝は娘の整形受診が控えていた私は動けません。 絶望しかけたところに、息子がその日予定がないことがわかり、
息子にお願いして猫を動物病院へ連れて行ってもらい、手分けすることができました。
家族が、それぞれ別の“緊急の場所”へ向かう朝。
あの日の空気の重さは、今も忘れません。
◆ MRIで判明した脳浮腫、そして集中治療室へ
娘の脱臼はあっさりと整形外科の先生が修復してくれて、一瞬で完治しました。
しかし、猫の方はやはり深刻な状態でした。
動物病院で容態が深刻と判断され、
そのまま八王子の高度医療センターに息子が連れて行くことに。
MRIの結果は、腫瘍か炎症かの原因はわかりませんが、脳浮腫ということでした。人間のようにDNRかどうかという話し合いがあり、結果、現場の判断で処置をしていただくというお願いになりました。
結局、次の日には自力での呼吸が難しくなってしまい、夕方に面会に行く時間を待たずにICUで人工呼吸器に繋がれることとなりました。そのため、挿管管理下で、鎮静と、抗がん剤と抗生剤、高圧薬の点滴の治療がされることになりました。心電図モニターに、Aラインと、中心静脈カテーテルと、シリンジポンプと、人間のICUと全く同じ設備があることに驚きました。
人間の医者ではあるものの、画像検査も血液検査結果も、モニターの数値も、基本的には人間のものと近いので、だいたい理解できます。だからこそ、かなり深刻な病状と思われ、正直回復するのは難しいのではないかとも思ったのですが、獣医の先生は諦めずに救おうとしてくれました。
あちこちの毛がなくなって、小さい体にたくさんの管が繋がれ、意識のない愛猫を見ると、とても胸が苦しくなりました。

◆ 開業準備の合間に、夜の面会へ
その後の約1ヶ月は、
外来や開業準備を終えたあと、
毎晩のように立川から南大沢の集中治療室へ向かいました。
名前を呼んでも反応はなく、ぐったりとしている愛猫ですが、限界を超えても頑張って生きている姿を、しっかりと見届けようという気持ちで通っていました。
帰り道の車の中で、
ただ頑張ってくれている愛猫に対する感謝で涙しながら、
ハンドルを握っていました。
◆ 人工呼吸器が外れてからの長い回復の道のり
点滴の治療が奏功して、やがて呼吸が安定し、人工呼吸器が外れました。
それは大きな前進でしたが、
そこからすぐに元の生活に戻れるわけではありませんでした。
自力で立てない。
歩けない。オムツ姿での退院でした。
どうしてもトイレに行きたがるのですが、トイレの中で倒れてしまったり、ご飯もちゃんと食べることができず、退院しても再入院する日がありました。

退院後は自宅では経鼻胃管からの投薬のケアが続きましたが、だんだんと平なところでは行動することができるようになりました。
そして先週。ついに長い間頑張ってくれていた胃管が詰まってしまい、抜去することに。
そこからは経口での内服に切り変えなければならず、苦い薬を口に入れられて、あわあわになりながらも、頑張って飲んでいます。
今もしばしばよろけることはありますが、少しずつ歩けるようになり、階段の上り下りもでき、また以前のように甘えてくれるようになって来ました。
完治というわけではないにせよ、全く身動きを取れない状態だったにも関わらず、これほどまでに回復してくれた愛猫に感謝しかありません。
◆ この経験が思い出させてくれたもの
開業は人生の大きな節目ですが、
その裏側には、家族の日常や命の強さ、
そして“誰かの回復を待つ時間”が静かに存在していました。
娘の不安を支えてくれた息子の行動、
そして小さな身体で必死に生き抜いた愛猫。
彼らのおかげで、
私は“人が回復していく速度に寄り添う”ということを、
もう一度丁寧に思い出すことができた気がします。


コメント